1996年、4月。私は、本州最南端・串本へ向かっていた。ひたすら続くシーサイドロード。ロングドライブの相棒は、手に入れたばかりの角ばった中古のサニー。
アクセルを踏み込むたび、老体に鞭打つようなあえぎ声がハンドルを通して掌に伝わってくる。中古車特有の、どこか湿り気を帯びたカビ臭い匂い。それを追い出すように窓を全開にすれば、国道42号線の重たい潮風が車内に乱入してくる。
助手席には、何度も広げて折り目が白くなった『ツーリングマップル』。ダッシュボードには、中古のサニーには似つかわしくない、場違いなほどメカニカルな新品のMDデッキ(MD:ミニディスク)。
スロットにMDを放り込む。ピチカート・ファイヴやオリジナル・ラヴの軽快なビートが、タイトな海岸線のカーブと、サニーのぎこちない振動に不思議なほど調和する。退屈など、微塵もなかった。
やがて、その「奇観」は突如として現れる。
橋杭岩。 海に向かって直線状に突き刺さる、剥き出しの背骨。
観光地の喧騒も、スピーカーから流れる野暮なご当地ソングもない。MDの音楽がふっと途切れた瞬間、そこに残されたのは、ただ岩に砕ける波の音と、それを吸い込むような、言葉を失うほどの静寂だった。
スマホサーチという「予習」が存在しない時代の私にとって、地図の余白を埋めるように現れたその風景は、暴力的なまでの新鮮さで脳に刻まれた。
立ち寄った土産屋は、お昼過ぎだというのに人の気配が薄い。並べられた海産物の茶褐色の群れの中で、その一点だけが鮮やかに浮き上がっていた。
ミニ提灯。
空の青、岩の茶、そして提灯そのものの赤。
本来なら、ひと目では追いきれない、あの広大な橋杭岩のパノラマが、掌の中のたった数センチ、ビニールの薄皮一枚の上に、極限までシンプルに凝縮されている。
「なぜ、これほどまでに広い世界を、こんなに狭い場所に閉じ込められるのか」
見知らぬ職人が施した「風景の圧縮」。圧倒的な巨大さと、浮世絵のような簡潔さの奇妙な共存。その構造に、私は理屈抜きで魅了された。この小さな物体さえあれば、あの巨大な岩柱を自分のものにできると信じたのだ。
30年経った今、サブスクのプレイリストから渋谷系のイントロが流れると、今も手元にある提灯の周りに、1996年の串本の湿った空気がふわりと解凍される。
整いすぎた今の時代、私たちは目的地に早く着きすぎるのかもしれない。 サニーのあえぎを聞きながら、地図を指でなぞり、潮風にまみれて少しずつ絶景を「手繰り寄せていった」あの遠い距離こそが、風景をより一層、輝かせていたのだ。