ドン・キホーテの竹槍
若きドン・キホーテは、カオスという名の風車に立ち向かい、そして無残に敗北した。
彼には、風車に立ち向かう戦略を練るための知識や情報、そして何よりも、戦うためのまともな武器がなかった。
カオスを制御し、その結果である膨大なデータをWebで公開するという野望を遂げるには、2000年代初頭のIT環境は、素人に対してあまりにも貧弱な、まるで竹槍のような道具しか与えてくれなかったのだ。
しかし、戦いの場から静かに姿を消したドン・キホーテは、この世から完全に消滅したわけではなかった。十数年という、死んだように長い潜伏の時を経て、彼は新たな武器を携えて復活することになる。
「Notion」という名の武器を。
Notion
私がその存在を知ったのは、データベース再起動に向けてどのような道具を選ぶべきか、暗中模索の思考を巡らせていたある日の昼休みだった。きっかけは、会社の同僚と交わした、他愛のない気晴らしの会話に過ぎない。
「英単語の学習に、最適なおすすめのアプリがあるんですよ」
そう言って彼がポケットから取り出したiPhoneの画面には、Notionと名付けられた、どこか静かで無機質なアイコンが佇んでいた。
アイコンがタップされると、私のどこかで見た記憶のあるレイアウト――かつて見慣れた表計算ソフトのセルに似た、整然としたテーブルが画面に現れた。
私には当初、単なる英単語学習用の小綺麗なツールかのように見えた。しかし、同僚の口から出た言葉は、私の予想を裏切るものだった。その本質は、リレーショナルデータベースであるという。
画面のなかには、英単語のスペル、発音、意味といったプロパティが整然と登録され、個別の例文までもが綺麗に内包されていた。そして驚くべきことに、これらの緻密なプロパティ群が、スマートフォンから直接、何の手続きもなくスムーズに入力可能なのだ。Webベースのクラウドサービスであり、モバイルでもPCでも、全く同一の機能がリアルタイムに同期するという。
彼はその汎用性を活かし、趣味である投資のポートフォリオ管理にもこのツールを流用していた。
それまで私にとって「データベース」とは、重厚なデスクトップ環境のモニターの前でしか作動しない、重く固定された構造物であった。かつて挫折したMacintoshのFileMakerの遠縁のようでありながら、その姿はあまりにも軽やかで、スマートだった。
私にとって、データベースとはシステムの一部として、あるいは与えられた枠組みとして「消費」するものに過ぎなかった。それが、まさかスマートフォンの画面の中で、一から「構築」し、ポケットに入れて街へ持ち歩くものだとは。この観点自体、当時の私の貧困な想像力の中には存在しなかった。
「データベースは驚くほど簡単に作れますよ。何なら、現代のAIがその構築をサポートしてくれます」
同僚は慣れた手つきで画面を操作しながら続けた。
「街を歩いているときでも、気になった単語があればその場で音声入力して登録できます。思いついた瞬間にメモし、そのままデータとしてストックできるのが最大の強みですね」
その言葉が、私の中で眠っていたトリガーを引いた。自席に戻った私は、何かに取り憑かれたように「Notion」というワードをWeb検索した。

画面に並ぶ無数の応用例やテンプレートをスクロールしていくうちに、私の目はある技術的な記述に釘付けになる。
「データベースから、WordPressへの落とし込み」
すなわち、データ管理とWebサイト構築という、かつて私を絶望させた二つの世界のシームレスな連携が、そこではすでに、現代の当たり前の技術として平然と実現していたのだ。
過去からの解放
脳裏に、かつての敗北の履歴が鮮明に蘇る。
システムの全容が見えずに味わった圧倒的な隔絶感。そして何より、外出先でふと浮かんだインスピレーションや、偶然見つけたミニ提灯の記憶を、自宅のMacintoshの前に座るまで、時間経過による「記憶の揮発」という恐怖と戦いながら維持し続けなければならなかった、あの不毛な脳内エネルギーの消耗。歩きながらノートや紙切れにペンを走らせていたあの不格好なアナログの足掻き。
「これらすべてから、ついに解放される」
私はデスクの前で、静かに、しかし確信を持ってそう直感した。かつて私を引き裂いた、データベースとWeb、そして日常の行動との間にあった「断絶」も「分断」も、このツールの前では跡形もなく融解していく。
歳を重ね、かつての盲目的な無謀さを失ったドン・キホーテの前に、現代の技術が紡ぎ出した、冷たくて鋭い新たな槍が静かに降ってきた瞬間だった。