若きドン・キホーテの敗走ーカオスという名の風車

機能の迷宮

「カオスを制御する」。これが、私が自分に課した命題だった。

押し入れの奥底に眠る無秩序を飼いならすには、まずその全体像を客観的に把握しなければならない。幸いにして、そこに広がる無秩序は無限ではなかった。当時は総数こそ不明であったが、少なくとも有限個であるミニ提灯。扱うべきデータは有限なのだ。時間というコストさえ支払えば、すべての客観的データを手中に収めることができるはずだった。

しかし、実体としてのミニ提灯が持つバリエーション豊かなプロパティは、総データ数にすれば数千項目を容易に超える。単に表計算ソフト(スプレッドシート)のセルへ黙々と記録していくレベルの取り組みでは、あの暴力的な無秩序を飼いならすなど、夢のまた夢であった。

そこで、データベースの登場となる。

2000年代初頭、私は「FileMaker」というアプリケーションを選択し、ミニ提灯のデータベース構築に着手した。当時、個人向けデータベースの代名詞とも言える存在であり、私は、書斎スペースのMacintoshの画面に向かって、それぞれのミニ提灯のプロパティをひたすら入力し続けた。

しかし、私にできたのはそこまでだった。

入力と並び替えという基本機能は作動したものの、それは高度な「メモ帳」の域を出るものではなかった。FileMakerは、あまりにも多機能すぎたのだ。

自分が真に行いたい分析、実現したい結果に対して、どのようなステップを踏めばいいのか、機能をブレイクダウンすることができなかった。入力と並び替えの先にある、そして無秩序の中に潜む「秩序」を見出すための、「情報の有機的な結合」を見出せなかった。

ミニ提灯の入手頻度が下がり、画面に向き合う頻度も減っていった。構築途中のデータベースは古いハードディスクの底へと沈んでいき、押し入れの無秩序だけが、変わらずそこに残された。

断絶と分断

加えて、私の中で実現したかった目標を達成するには、当時のアプリケーション間の連携にそれなりの知識と経験が必要だった。一介の素人に過ぎない私には、そのシステムの全容を見通すことすら叶わなかった。

私は当初、データベースの構築に留まらず、それをWebサイト上で広く公開することまでを画策していた。しかし、当時のデータベースとWeb作成との間には、あまりにも深い断絶があった。

データ管理とWebデザイン。それぞれが完全に孤立したアプリケーションであった。個別にコードを書き、データを書き出し、手動でサーバーへアップロードせざるを得なかった。

あるとき、その日たまたま手に入れた一つの提灯と、それにまつわる短い思い出話を、そのままWeb上に載せてみたいと思い立ったことがある。写真をリサイズし、HTMLのタグを書き、テキストを流し込む。数時間かけてようやく一つの記事らしきものが形になった頃には、当初あった熱量はすっかり冷めてしまっていた。結局、そのページは一度も公開されることなく、私のパソコンの中に眠ったままとなった。

単調な項目の羅列としてなら、まだデータを打ち込み続けることができた。地名、色、形状。無機質な文字の連なりは、義務的な作業として淡々とこなせたのだ。しかし、一つひとつの提灯に、それを手にした時の記憶や物語を与えようとした瞬間、私の手はぴたりと止まってしまう。無味乾燥なデータの羅列と、血の通った物語。その両方を同時に紡ぐ余力は、当時の私にはなかった。

そもそも、物語を紡ぐにしても、ミニ提灯との対話によって得られた突発的なアイデアやインスピレーションを、スムーズに可視化するツールも存在しなかった。

外出先で浮かんだ思考を、自宅のMacintoshの前に座るまで、頭の中で常に消去されつつある記憶のフェードアウトに抗いながら維持し続けなければならない。そのために費やされる脳内エネルギーは膨大だった。結果として、私の思考と記録は構造的に分断せざるを得なかった。

自動化やアイデアのストック(蓄積)という、ITが本来もたらすべき理想的な恩恵からは程遠い、非効率極まりないアナログな往復作業。その深すぎるギャップを前にして、私の情熱は静かに摩耗していった。

このような過程を経て、暴力的な無秩序という巨大な風車に立ち向かった哀しきドン・キホーテは、ついに戦いの場から姿を消した。

十数年の時を経て、ミニ提灯データベースの再起動を決意した私の脳裏をよぎったのは、やはりあの時代の苦い挫折の記憶だった。また同じ迷宮に迷い込み、記憶の維持にエネルギーをすり潰されるのではないか、という諦念に近い予感。

それを一瞬にして変えたのが、「Notion」という現代のツールだった。それは単なるツールの乗り換えではなく、かつて私を阻んだ「断絶」や「分断」を融解させる、静かな革命の始まりであった。