若者の旅は、どこまでも自由で、ただ自分の好奇心だけが道標だった。 時が経ち、若者と呼ばれなくなる年齢になると、いつしか旅は「仕事」という鎧を纏うようになる。
私にとって、札幌はそんな大人の旅を幾度となく繰り返した場所の一つだ。
会議室の緊張感、終わりのないタスク。けれど、ひとたび街へ出れば、30年前に初めてこの街の星を仰ぎ見た若者と、何ら変わらない自分がいる。
すすきのの土産物屋で手にした提灯は、目に刺さるようなショッキングピンクだった。それは時計台の端正な白や、大通公園の健全な緑とは決定的に相容れない、夜の不夜城が放つ「毒」の色だ。
端正な白磁の器に、突如として原色のグラフィティが殴り書きされたような、鮮烈な違和感。しかし、その無作法なまでのエネルギーこそが、札幌という街が隠し持つもう一つの地層(レイヤー)なのだ。
同僚と出張先ならではの解放感に浸り、会社の愚痴を肴に、ビールとジンギスカンで心を慰める。衣服の繊維の奥までラム肉の脂の匂いとタレの香ばしさが染み込み、熱気が身体を支配する。
店を出て、夜風の「動」に身を任せて歩き出す。すると、冷涼な北国の風が、まとわりついていたジンギスカンの煙と、現実の澱(おり)を一枚ずつ丁寧に剥ぎ取っていく。すすきののネオンが遠ざかり、余韻が夜空へ霧散していくたび、私は「組織の一員」から、一人の「旅人」へとゆっくり還っていくのだ。
ビジネス街のど真ん中、エアポケットのように静まり返った時計台の前。 ふと見上げた頂にある「赤い星」は、昼間の喧騒が嘘のような静けさで私を迎えてくれる。30年前には「栞」のように軽かったその視線は、今、仕事と旅の満足感が混ざり合った、確かな重みを伴ってあの五稜星を射抜いている。
体という器の外側は、年相応にボロくなる。けれど、その内側にある機構は驚くほど丈夫なままだ。まるで精緻なヴィンテージのムーブメントのように、私の旅への情熱は、30年前と同じ熱量で今も正確に時を刻み続けている。
このショッキングピンクの提灯を手に取ると、夜風に洗われたあの瞬間の感覚が蘇る。時代が移ろい、旅の形が変わっても、私の中の「旅の機構」が刻むリズムと、あの夜空に輝く「赤い星」だけは、決して揺らぐことはない。