京都を出発し、国道8号線から関越道へ。1,000kmに近いロングドライブの果て、首都高速へ乗り換えて東京の中心部へ滑り込むと、世界は一変した。
愛車である中古の角ばったサニーのハンドルを握る手に、じわりと汗が滲む。両脇から迫り来る高層ビルの壁、複雑怪奇に絡み合うジャンクション。一瞬の判断ミスが、目的地から遠く引き離される恐怖へと直結する。
1996年。そのわずか2年前まで、6年間この街で暮らしていた私ですら、東京という巨大な重力圏の前では、いつまでも一人の「余所者」に過ぎなかった。
日本の道路の起点、日本橋。 数日間の旅を経て辿り着いたそこは、旅情を誘う静謐な場所などではなかった。頭上を覆い尽くす首都高のコンクリートが陽光を遮り、無骨なエンジンの唸りと排気ガスの匂いが澱んでいる。真上を通り過ぎる車の走行音が、絶え間なく地響きのように降り注ぐ。
この圧倒的な圧迫感こそが、私にとっての東京の正体であり、疎外感を与え続ける原因だった。
そんな巨大すぎる都市のダイナミズムを、わずか数センチのプラスチックに封じ込めたのが、この提灯である。
私がこの提灯を入手したのは2004年、浅草仲見世にある土産屋だった。
東京タワー、国会議事堂、二重橋、浅草、そして西郷隆盛像までも。 脈絡もなく、節操もなく、この円筒の中には東京の記号がひしめき合っている。それは「過剰の美学」というよりも、立ち止まることを許さず、あらゆる要素を飲み込みながら自らを上書きし続ける、都市の乱雑なエネルギーそのものだ。
土産物屋の主人が、この安っぽいプラスチックの塊を紙袋へ無造作に放り込む。
「カサカサ」
鞄の中で響くその乾いた紙の音。そのあまりの軽さが、皮肉にも、手中に収めることなど到底不可能な巨大都市を「持ち帰った」という確かな高揚感を私に与えてくれた。
1996年の私は、自分が制御できない疎外感を感じ、2004年の私は、そこから解放された。
2026年、57歳になった私は、iPhoneのレンズ越しに、かつて征服を試み、やがて手中に収めたと実感した、あの日の東京を見つめている。
鈴さえついていない無機質なプラスチック。私が、東京という存在を本当に征服できたのかは、今もわからない。
だが、レンズのファインダーの向こう、ミニ提灯の表面に映し出された東京の姿には、間違いなく、ジャンクションの迷宮をサニーと共に駆け抜けた、若き日の歪んだ鼓動が閉じ込められている。