雨であれば観光客の数も少ないだろう、という私の目論見は見事に外れた。
清水寺の参道は修学旅行生の集団で埋め尽くされ、かろうじて生じた隙間を、レンタル着物をまとった海外からの観光客が補完していた。
今回の清水寺訪問(正確には、清水寺は拝観せず、参道の土産屋の訪問である)の目的は、明確である。前回訪問時に購入し損ねた、2つのミニ提灯の入手だ。
私を動かしたもの
ターゲットはそれぞれ異なる店舗で売られていた。人々の差し出すビニール傘の先端を避けながら、土産物店の軒下を伝い、土砂降りの参道を上から下へと移動する。
1軒目は、昭和の残像を色濃く留めた古風な土産物店である。近年では極めて珍しくなった「吸盤型ミニ提灯」を多く取り扱う貴重な空間だった。
前回の訪問時、私はそこにある全種類を購入した「つもり」だった。しかし、帰宅後に手元の現物と店内で撮影した記録写真を照合した際、1個の買い逃しが発覚した。自分の観察眼の甘さに呆れつつも、データベースの欠落を埋めるために再びこの地を訪れたのだ。
2軒目は、狭い路地裏にある露店のような販売スペースである。
前回の訪問時、無造作に並ぶミニ提灯の中に、私のデータベースにない未知のミニ提灯をひとつ見つけていた。その場では「次の訪問先でも手に入るだろう」と高を括り、写真だけ撮影して通り過ぎてしまった。
だが、その楽観は裏切られた。以降の巡回先でその造形を目にすることは二度となかった。「眼前に現れたものは、その場で確保する」という、蒐集(しゅうしゅう)における鉄則を怠った報いだった。
ミニ提灯の世界は、新陳代謝というよりは、文字通りの「衰退と変容」の渦中にある。ついこの間まで存在した店やミニ提灯が、次の訪問時には跡形もなく消え去っていることは日常茶飯事だ。前回から一ヶ月と経っていない。それでも私の胸には、拭いきれない焦燥感が澱(おり)のように溜まり、私を雨の清水寺へと動かした。
閉ざされたシャッター
雨の勢いは衰えない。修学旅行生が掲げる傘の列の向こうに、目指す1軒目の古風な看板が見えてきた。
しかし、看板の下で私を迎えたのは、冷たく閉ざされた灰色のシャッターだった。「本日休業」の札すらなく、無機質な金属の壁が雨の参道に向かってそそり立っている。
この店のWebサイトには、「年中無休」の四文字が掲げられている。一瞬、「臨時休業」ではなく「廃業」の二文字が脳裏をよぎる。それは杞憂だと言い聞かせ、不安を強引に振り払う。
脳裏に浮かぶのは、前回、世間話しながら、たくさんの提灯をひとつずつ丁寧に包装紙で包んでくれた、あの土産屋のおばさんの姿だ。昭和の空気を纏ったあの人も、この伝統的なミニ提灯も、私たちはいつまで「次がある」と信じていられるのだろうか。冷たい雨の感覚が、思考の奥底へと染み込んでいく。
傘に当たる雨音が、私の心に、「もう一度、晴れた日に来ればいい」、「せめて休むなら張り紙の一つでも残してくれよ」というリフレインを巻き起こす。その音をかき消すような少し早歩きの足取りで、私は2軒目の店へと歩みを向けた。
路地裏での再会
その販売スペースは、雨の滴る路地裏に、一ヶ月前と変わらぬ佇まいで存在していた。
そして、私の撮影したデジタル写真の中にのみ囚われていたミニ提灯の実体が、確かにそこにあった。一ヶ月ぶりの再会。この瞬間、ミニ提灯には、アーカイブという永住の地が約束された。
露店のようなその風貌から、決済には現金を要求されるだろうと踏んでいた。しかし、店主に「コード決済は可能か」と問いかけると、彼は不躾な質問を遮るように「もちろん」と答え、各種ロゴの貼られた最新の決済端末を顎で指し示した。
「コード決済をすると、その場で当たるくじがあるらしいね。うちの客はみんな当てていくよ、お兄さんも引いてみな」
決済完了の電子音が雨音に紛れて響く。促されるまま、店主の視線を受けながら画面上のくじを引いた。
「どうだった」 「4ポイント、当たりました」 「4ポイントってのは、いくらだい」 「4円です」 「なんだ、それじゃ何にもなりゃしないね」
変わらないもの
ミニ提灯を取り巻く社会状況は変わり、それに合わせてミニ提灯の形態や意匠も変わった。そして、土産物店におけるコミュニケーションのフォーマットもまた、デジタル決済の波に洗われて変容していく。
その奇妙な変化のグラデーションの中で、唯一変わらないものがあるとすれば、それは私の蒐集への飽くなき執念だけかもしれない。
雨は依然として降り続いていた。手元に加わった新たなデータピースの重みを感じながら、私はビニール傘を傾け、次の目的地である平安神宮へと足を進めた。